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故郷

最近、実家の隣のおばあちゃんが亡くなりました。
斜め向えのおじさんも。

2人とも、私が生まれた時からのご近所さん。いろんな思い出があります。最近まで斜め向えのおじさんは、よく家の前でタバコすいながらニコニコ笑ってた。挨拶してた。

2人が逝ってしまって、なんか故郷がだんだん無くなっていくような気がしました。

名古屋の住宅街。ちょっと下町。みんな戦後に引っ越してきた長屋の町。子どもの頃は近所のおばさんに怒られたり、隣のおばさんからおかずをいただいたり、お祭りも、子ども神輿や獅子頭をかぶった練り歩きだけど、あった。

でも、だんだん住んでいる人が代わり、建物もかわっていく。

私の故郷は、あと50年したら、景観も住んでいる人もかなりガラッと変わるだろう。私の子ども時代を知っていてくれる人はいなくなり、その子ども達もいなくなったり付き合いの無い人だったりするんだろう。そうしたら、その場所は存在するけど、私の故郷としての場所ではなくなるのかな〜。同じ場所だけど、まったく違う場所に。

残るのはきっと子どものとき遊んだ神社だけかもしれない。
そうしたら、故郷は心の中だけに残るのかもしれない。


加子母にいると、山はたぶんずっとあるし、人も代々暮らし続けていくことがあたりまえだ。道ができたり建物ができたり山の木が変わったり人が代わったとしても、きっと故郷と呼べるままに存在し続けるんだろう。たくさんのことを、次の時代へつないで託していくことができる。引き継いでいくことができる。

そういうのって、強いと思う。
帰る場所がある。根っこがいつも感じられる。
それって、とても、うらやましい。。。

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コメント

わたしは、今住んでるところに割と大きくなってから越してきたし、育ったところは新興住宅街だったので、あまり故郷という概念がないけれど、仲良くしていただいている近所のおじさんやおばさんの中には、幼少の頃からここで育った人も多くて、話を聞くと面白いの。

昔は畑だったとか、映画館があったとか、商店街が賑わってたとか、今ではおじさん・おばさんな人たちの子供時代の話や、お嫁さん(今ではおばあさん)が嫁いできた頃の話とか、悲喜交々な街の人たちの歴史とか、語ってくれて、先祖代々、生き繋いできたんだなぁ、としみじみ感じます。

田舎のそれと違って、都会の街はとかく変化が激しいけれども、その土地に住み続けている人の声に耳を傾けることで、その歴史の中に身を置いている感じがするというか、根を張る場所をおすそ分けしてもらっている気がしてたりして。

まぁ、錯覚なんだけど。笑;

投稿: YAE | 2009年6月21日 (日) 01:14

YAEちゃん
書き込みありがとう!
そうだね〜〜、住んでいる人の話を聞いてくと、その繋がりの中に入れてもらえるような気がするね。
話を聞いて繋げていくことも、一つの関わり方だもの。

根を張る場所をおすそ分けって言葉、分かる気がします。

投稿: ほんま | 2009年6月22日 (月) 15:16

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